農民の困窮

明治一二年、一四年の二度の水害で被災した鳥原村の惨状を数十戸の家屋を流失し、田畑の埋没は数百丁、一面あたかも砂漠のようで、従前よりあった水路も埋没し、以来一朝降雨にあうと、たちまちあふれて従来もとだえ田面にあるあぜ道などは数尺の水底に没し、さらに数日の晴天をまたなければ農作業をすることが出来ないと期している。明治一八年には村民は村の堪水を他の村の水路へ流した所、他村民がそれをせき止めした。そのため村の水流が止まり、田に浸水して害を被るので、村民二〇余名が警察出張所へ押し掛け、せき止めをやめるように請求した。北場村では、明治一九年と同二二年に、長雨によって稲が長期間水に浸り水腐したため、来春に播種する種籾給与願いを知事に提出している。また明治二四年八月に、山王の中之口川堤防防御に出夫していた村の人々は、日没帰宅してみると西川破堤のため家が水に浸かり農具も流されてしまった。助役は貧民は唯糊口に苦しみ、其の上融通は一切絶ち自ら求むる能はず他に金策の道なしとして貧民二一名の農具の購入代金救与願いを県に具申している。

農民の困窮