横田切れ

明治二九年の天候は極めて不順で七月中旬から連日の降雨のため、信濃川の水かさが増して、七月二二日横田村の堤防が三六〇メートルの長さにわたり決壊し、濁流は下流の地域に押し寄せた。横田切れと呼ばれる水害は洪水くどき、やれやれみなさま洪水さわぎ、山のはてから海ぎわまでも田畑そうたい家屋も水で、ぬれて流れてみる目もあわれ、なすや豆などいづれも腐れきうり、かぼちゃはつるみな枯れた、うりも西瓜もくうことできず、イネもかれはて米価はたかく、みそも損じて塩のみなめる、たんす長持流れてしまい、鍋や釜などみなうちしずみ臼や桶るい残らずうせて、むしろたたみもぬれたる故に、夜着も臭さは臭し、井戸はつぶれてのむ水とぼし・・・とその惨状が今なお語り継がれている。横田切れによって、新潟市にかけての一帯は約三ヶ月も泥海と化し、稲は収穫を前にして全滅、米価は高騰し、人々はヒエかゆをすすり、雑草を食べて飢えをしのいだといわれている。

横田切れ