舟農業

耕地の大半は低湿地のため農業生産は稲作が中心であり、微高地を利用しての畑作もあるが、水田面積に比べると畑地はわずかでしかない。そのため農作業といえば水田で働くことである。耕地整理された乾田で用排水施設も完備し、大型農具を駆使している今日の農業からみると、明治から昭和初期のころは、想像を越えた過酷な農作業であった。湛水地で泥深く、田に入ればカンジキをはいていても、股まで水につかった。平鍬で六、七株打ちをしたが、水深くほとんど見当打ちで、ヨシのホージでも立てねばどこまでという区別が全然つかなかった。田の三分の二は、一尺二〜三寸のカンジキを履きヨシのホージを立ててのメクラ打ちであった。朝九時半ころ握り飯を持って素足で田へいき、女は足踏み水車で田の湛水をかいだしながら、午後三時ころまで男は一反くらい打ったが、女は田打ちはしなかった。他は午前九時ころから午後四時ころまで、大体一人一反ぐらいづつ打った。水はいくらも溜っていないが、泥もぐりのため、膝まで没する田に入るので、足はゆで海老のように赤くなり、その苦しみはたとえようがなかったと述べている。水の冷たい春先におこなう湿田の田打ちは、便所にいっても腰がおろせないほど疲労もはなはだしく、農作業のなかでも最もつらい重労働であったことがよくわかる。

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