除草剤を散布することなど想像もできなかった当時は、深水やヒルに悩まされ、一株一株手を廻して取るほかなかった。草取りは砂利原のようなところを素手でかきまわすのであるから本当に苦労したようである。ゴム手袋もないので、爪が減って血の出る所を木綿の布でしばるのが関の山であり、低湿田の草取りはつらい作業であった。稲刈りは低湿田が多いため、七割はカンジキをはいて行なった。囲土手の外側はほとんどカンジキや箱カンジキをはいて刈取りをやった。ただでさえ身動きができないのに、稲を傷めない様にする仕事は大変な労働であった。稲刈りは一株ずつ稲刈鎌で刈っていった。田の中では田舟や田そりが使用された。カンジキの中にも凄いものもあり、ハコカンジキからキャタツ式まであり、杖を頼りにやっと履くのであった。そんな田の稲は根元より一尺以上あたりから刈った。また水の多い年であると舟に乗って稲刈りをする乗り刈りもあった。乗り刈りの方法は、二人で舟に乗り、一人は柄が七、八尺もある鎌で、舟の中から立ちながら刈り、ほかの一人が浮き上がった稲を舟の中へすくい上げて大束にする。カンジキを履き、腰までつかっての稲刈りは過酷な労働であった。