田 舟

当時の田舟は農家の生活に欠くことのできないものだった。各戸二、三隻の田舟を所有していた。耕地は割地制で分散しており、遠い耕地は四キロメートルも離れていた。洪水での破堤をおそれ、水路に水門を造らなかった。大潟、谷地へ通う舟は涌筒、海老手の堤防へ積荷を下ろし、軽くして舟を上げ下ろししていた。下流地域ともなるとさらに舟が多い。大江に添う農家は大舟を持ち、これは村で一五隻程度で、あとは団子と称する稲束七、八〇束積みの舟を三町歩耕作の農家四隻、普通の農家は二隻程度持ち、舟大工も一戸村に住み、舟無尽もあった。刈取った稲は舟に積み、一人は竿で押し、一人は網で舟を曳きハサ場へ運んだ。ハサ入れは、ハサ場−舟堀−大江−舟堀−舟付場へと運搬され、その後は背負って家の作業場へ運んだ。中之口川堤防づけの村では四キロ離れた低湿地もある。従って舟は田作業の運搬具として使用された。この村での春耕期の舟は、肥料を積み、一人は舳を綱でひき一人はさおで押す。堰があると荷を下ろし、舟を堰越えさせて、荷を積換えて耕地へゆく。稲刈期は水路沿い、道路沿いに並んだハサ場まで運ぶ。乾燥した刈稲は再び舟に積まれて幾つもの堀を通り自宅近くまで運搬され、そこからは背負って家の作業場へ運んだが、昭和四年ころからリヤカーが利用されるようになった。

田 舟