騒 動

組合設立後、二つの騒動が起った。一つは明治四一年に下流の七穂地区での耕地整理、排水機設置のため、組合内部の対立によって起こされた組合解散要求の申請である。この組合騒動はその後三カ年も続いた。もう一つは団五郎江の二線の水路の排水がすべて味方村のものであるにもかかわらず、この排水路の所在は板井耕地のうちの地積の中央を分断して通るものであった。このため上流の村と下流の村との利害が相反し、団子郎江普通水利組合との間に排水路管理をめぐる訴訟問題が起った。明治三九年、団五郎江の江幅について証拠保全の申請をする。それは地租改正の江幅の書き上げが古江二間、新江三間と、江組関係者との協議のうえなされているのに、団五郎江組合は人夫をして鋤れんや鍬で江底を掘らせ、江丸を決壊し江幅を四間以上にした。このため耕地は水害を被っている。地券調べ時の地引帳、地引絵図によって、その非行を確認してもらいたいというのであった。そして大正二年事件は再び下ケ江の村境界付近を主とする三九六間の区間で起り、証拠保全のために弁護士を依頼すること、団四郎江水利組合に対し、現状回復並びに損害賠償請求の訴訟事件を提起すること、この経費は村で負担することを大字総会で議決し、新潟区裁判所へ訴状を提出した。

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