底樋工事は、明治三七年以降の内野村及び巻町地内の観測水量と雨量を考え、最大流量を毎秒三〇〇〇立方尺とし、これらの疏流のため、西川河床下へ閘門九箇を設置する。閘門は底部で半径三〇尺の円弧を、煉瓦五枚巻のインドートアーチとして、高さ一〇尺、長さ一一間、幅一八尺の形で拱脚、暗閘両端は花こう石で築造され、通水下流吐口には、海潮の逆流を防止するため閘門へ幅一〇尺五寸、高さ一二尺五寸の木造門扉二枚を取り付け、新川水流と海水の干満の関係で、逆潮時は自動閉扉される装置とした。また通水路呑口河床は幅四間、長さ三七間の床固沈床、新川両岸は長さ三間、高さ二三尺の間知石による袖石垣工法をした。工事は明治四十二年八月着工、明治四五年一月閘門竣工、西川の付け替え工事竣工は大正元年一〇末。新川の旧樋撤去の完了が大正二年の春であるが、この間明治四三年八月の増水を除く外は水害もなく、手直し工事も極めて少なく進行した。この工事により、灌漑用水である西川と悪水吐である新川が改造されたので、郡一帯の治水と利水は好転し、農業の急速な発展を促したのである。